『鬱』の履歴

2009年5月14日 (木)

自分の「鬱」の場合(10)

前回は、2008年の12月に復職するまでを書きました。

今回の復職は、本当に自信がありました。
じっくり体調を上向かせていったし、体力的にも十分な状態でした。
何より、気持ちに力みがなく、本当にスッキリした状態でした。
ここ数年でなかった清々しささえ感じるほどでした。

12月中旬に復職し、冬休みを挟んで1月と順調に会社生活を続けていました。もう少しで「鬱」から脱却出来るという期待感もありました。 本当に順調でした。

しかし、良いことばかりではありませんでした。
それは、1月の通院日に突然、主治医のT先生から言われました。
「新年早々なのですが・・・実は3月で転勤することになりました。本来なら新しい先生へ引き継ぐのですが・・・病院の経営状態が思わしくないので、病院自体の規模を大幅に縮小する予定です。従って私の代わりの先生は来ません。そこで、転院しても大丈夫そうな方には転院をお願いしています。」
私は思わず絶句「・・・」でした。

通院日の翌週の月曜日は、ショックで出社できませんでした。

思い返すとこの事が、自分で思った以上にショックがあり、思わぬつまずきの要因の一つになった気がします。

さらに最後の通院日が迫った、2月の初旬に会社で起こった些細な出来事が状況を悪くします。
仕事中に機器の設定を変更しました。変更後に戻そうとすると、設定用のUSBメモリが無い。。。機器の校正を行った担当者が正しく元の場所に戻さなかったのが原因でした。
私が無くしたわけではなかったのですが、当日、USBメモリが見つからずに、この事でその日の予定作業が終わりませんでした。
確認してから設定を変えれば良かったと後悔しました。失敗した・・・この思いだけが頭の中をグルグル回ります。

この些細な出来事がきっかけで、次の日から出社できなくなりました。 4日ほど休んで、また出社した日が、T先生の最後の通院日でした。こうして2月中旬に最後の診察日を向かえ、信頼していたT先生から違う病院に移ることになりました。

結局、この日以降、出社できない状態に陥ります。ちょっとしたつまずきと転院・・・これが自分で思う以上に影響したようです。
順調だった睡眠も睡眠障害が起こるようになり、食欲は過食気味になり、集中力も続かなくなり、今までうまく行っていたものが、悪いほうへ傾きだしました。

更に転院先の主治医と色々と話をするのですが、話しが噛みあわず・・・最後は通院したことでより症状が悪化する状況になってしまいました。

こういして、2009年5月から7回目の休職に入りました。

嫁さんの勧めもあって、現在、転院先の病院を探しています。

ちょっとしたきっかけで「鬱」が悪化する。この病気の怖さを改めて感じました。転院がもう少し後だったらと思う時もありますが、次の病院で良い先生に会えると信じて、体調を上げるようにしていこうと思っています。

これを書いている今、外は爽やかな風が吹いて天気も良いです。
それと対照的な自分の今の状態・・・早く抜け出したいものです。

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2009年1月11日 (日)

自分の「鬱」の場合(9)

前回は、2008年の5月末頃に6回目の休職に入るまでを書きました。 今回は6回目の復職までを書きます。

6回目の休職は、
・睡眠障害
・体の倦怠感
・無気力
との格闘でした。

6月は完全に動けず、ほとんど部屋で昼寝か読書かネガティブな思考かという感じで、ホントに抜け殻のようになっていました。子供の小学校の運動会を見に行けなかった時は相当に凹みました。情けない父親だと自分を責めました。

そんな日々でしたが、6月の終わり頃に自分の中で何かが変わり始めます。きっかけは読書と音楽でした。
内田樹氏の著書『下流志向』とタッド・バッジ氏の著書『仕事も人生も4つのボールでうまくいく』と宇多田ヒカルの『Fight The Blues』です。

ポイントは「自分」「人間関係」「社会」「仕事」のバランスでした。
あまりにも「仕事」の要素が大きく膨らみ、「自分」「人間関係」「社会」が小さかったかに気がつきました。そして、今、自分に出来る最善は?・・・「自分」を立て直すこと。目標が定まりました。まさにヒラメキですね。
そして『Fight The Blues』を聞いてモチベーションを上げたわけです。
詳細は↓に書いてあります。
『4つのボール』

「自分」の建て直しの為、病気を治すことに注力すること決めました。
ということで、その後の日課となる公園への散歩、半身浴で代謝を高める、毎日ストレッチをする、太陽を浴びる等の肉体的なケアを始めたのでした。

目の前に適切な目標を設定できると、大きな効果を生むと本で読みましたが、自分自身にもそういった効果(変化)が起こります。

散歩→ウォーキング→ジョギングとペースアップするとともに体重が落ちて適正な体重へ。
肉体的な疲労感から少しづつ睡眠状況も改善。
自分でも波はあるものの確実な回復を実感していました。
ただ、体の倦怠感だけはなかなか抜けなかったです。

主治医や嫁さんとも相談して、「今回は復職を焦らないで十分回復してから復職する」という方針も明確にしました。

日々の生活リズムも出来てきて、リハビリ通勤もはじめ、倦怠感も軽くなっていきました。そして11月に復職可の診断書をもらいました。

この頃になると、「自分」「人間関係」「社会」「仕事」のバランスが良くなっている実感があり、更に優先順位が変わっていました。

昔:「仕事」「自分」「人間関係」「社会」

今:「自分」「人間関係」「社会」「仕事」

という感じですね。
まずは、「自分」「人間関係」がうまくいっていて、そこに「社会」「仕事」が加わるという感じです。逆はありえないです。

そして、満を持して12月の中旬に復職したわけです。
今回は、「仕事」に対するモヤモヤを持たずに戻れたので、うまく行きそうな気がしています。

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2009年1月10日 (土)

自分の「鬱」の場合(8)

1年以上間隔が空いてしまいました。自分の記憶もあやふやなので、当時のブログを読み返しながら書いています。(^_^;)

前回は、2007年の9月に5回目の休職までを書きました。

2007年の秋から冬にかけて体調的に不安定さはあるものの、ある程度回復することができました。主治医、会社の産業医などと相談の上、12月の中旬に5回目の復職を果たします。

同期の人事のはからいで、前部署に所属しつつ、製造応援という形で製造部門で働くことになりました。製造では、決まった作業をこなすのであまり精神的な負荷がかからないことと、やった分だけ成果が見え達成感が感じられるからというのが理由でした。ホントに人事の同期には感謝、感謝です。病気への理解もあり、社内でネゴしてくれるので心強いサポーターでした。

復職して1ヶ月半ほどは、マズマズ順調に行きました。
2ヶ月過ぎに一度体調を崩しかけましたが、この時はなんとか復活できました。 ただ、この頃から少しづつですが、自分の気持ちに変化が起きはじめていました。自分でも気づかないうちに・・・

2月の終わりにショッキングな出来事が起こります。
強力なサポーターだった人事の同期が突然の退職。知ったのは最終日の午後でした。 何度も感謝の言葉をかけました。ただ、彼がいなくなったことで、自分の心細さも増すことになりました。

この時点での私にとっての課題は、仕事との付き合い方が定まっていないことでした。 技術職としてバリバリやりたい反面、戻りたくない気持ちもあるし、経済的なことを考えると・・・
結論の出ない考えが頭の中でグルグル・・・
自分自身がストレッサーとなり、自分で自分を攻撃します。
しっかりやらないと職を失うのではないか?
十分な稼ぎが得られなくなるのではないか?
そんな恐怖感との戦いでした。

製造の仕事自体はやっていて面白かったです。物を造って出来上がるということは喜びがありますから。ただ、自分の気持ちとしては、仕事のステータスでは技術が上で製造が下という認識でいました。
今考えるとホントに無意味な比較ですが、自分自身のステータスが落ちた気分になっていきました。思っても仕方の無い事実ですから、普通に受け入れれば良かったのですが、当時はそこが頭では理解していても気持ちが納得しない状態でした。

この時の私の最大のミスは、コミュニケーション不足でした。
相手はどう考えているのか?自分はどうしたいのか?ということを周囲の人達とコミュニケーションが全くとれていませんでした。

結果的に自分自身の解釈に溺れ、悪循環にハマっていきました。
睡眠が乱れ、会社への出社のハードルが高くなり、休みがちになりました。

特に3月中旬~4月中旬、GW明けはきつかったです。
GW明けも休みがちでしたが、なんとか復調気配になりかけていた矢先に祖母が急に亡くなりました。葬儀などで数日会社を休んだら、もう出社できない状態になっていました。

「もうだめだ。。。」と嫁さんに伝え、予定よりも早く通院して診断書を書いてもらいました。
泥沼の6回目の休職です。この時は、気力がゼロになってました。

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2007年9月28日 (金)

自分の「鬱」の場合(7)

前回は、2007年の7月に4回目の休職・復職までを書きました。

7月中旬に職場に戻り、はじめは順調な滑り出しを見せてました。
しかし、7月下旬には、再び休みがちになり・・・
調子は完全に戻りきってなかったようです。

そんな時、人事から部署異動の打診がありました。
私の体調を心配してくれた、人事の同期が、社内で一番平穏そうな部署を薦めてくれました。
今のままではダメだと思っていた私は、その話しを承諾しました。
トントン拍子に話しが進み、夏休みの5日前に技術から他部署へ異動となりました。
新しい職場では、暖かく迎え入れられ、順調な感じでした。

そして、夏休み・・・
ペースを崩さないように、就寝、起床時間を守って・・・
模擬通勤みたいなことをして・・・

でも、夏休み明けになったら・・・
寝れない。。。
体がだるい。。。
出社できない。。。

またまた、休みで体調を崩してしまいました。
今考えたら、夏休みの過ごし方を完全に失敗してますね。
ほとんど、休みになっていないですから・・・

結局、夏休み明けの通院で診断書をもらい、5回目の休職です。
今は、休職中ですが、少しづつ回復してます。
不眠もだるさも改善しました。
その後、イライラ感もありましたが、服薬の工夫でうまく行ってます。

順調なら、10月の中旬頃に復帰ですが・・・
どうなることやら。。。

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2007年7月31日 (火)

自分の「鬱」の場合(6)

前回は、2007年の4月に復職を迎えるまでを書きました。

復職したのは、2007年の4月9日から・・・
自分でも手ごたえを感じての復職でした。

職場も以前と変わらず、普通に接してくれて、あまり違和感を感じませんでした。

ウチの会社では、復職時に短い勤務時間からという制度はないので、
まずは、残業はナシの定時勤務からスタート。
まぁ、もともと残業ばかりの毎日でしたから、残業ナシというのは楽というか、短いという感じなのでちょうど良いかなぐらいに思ってました。

最初の週は、5日間連続出勤(^^)v
次の週は、月曜休み、4日間連続出勤(^^)v
その次も、月曜休み、4日間連続出勤(^^)v

まぁ、月曜日はブルーな日なので、多少はしょうがないですが、マズマズの滑り出しでした。
この後、GWの休暇に入ったわけです。

主治医からは、「GW等で長く休むと調子を崩す場合があるので注意ですよ」と言われてましたが、休み中は順調に過ごしてました。

しかし・・・
実は、この時期、職場では大トラブルが発生中。
もちろん、私には何の責任もないことですが・・・
職場のほぼ全員がこのトラブル対処で、毎日、大忙し。
GW中も出勤していた人もいたようです。

そんな中、「マイペースでいいよ」といわれていた私。
周りの大変さを見ても、何もできない自分・・・

そこに参加出来ていないことに対する申し訳なさ・・・
孤独感、切迫感、罪悪感・・・
職場にいると、時々感じるこれらの感覚。
タバコを吸いに休憩室に行って、タバコを吸っている時も・・・
急に切迫感や孤独感に襲われる。

正直、会社に行くのが「怖い」という感じになってきてました。

そして、GW明け・・・

会社も休んだり、行ったり・・・3日以上連続で出社した日はなくなりました。
そんな感じで、5月、6月と過ごし、6月末にはテンパってました。
6月末の通院で主治医に診断書をもらい、2週間の休養を取りました。
4度目の休職ですね。

でも、この2週間は良い休養になりました。
この2週間内に色々、気持ちの整理ができました。

特に、自分が借りに対して非常に敏感なことがわかりました。

・周りが忙しいのに協力できていない。⇒借り
・自分が毎日定時で帰っている。⇒借り
・他人からの頼まれ事を断る。⇒借り

こういったことを借り=借金と感じ、すぐに返済しないと気が済まない性格。
だから、住宅ローンのような借金もすごくプレッシャーに感じる。

「メランコリー親和型性格」っていうそうです。

別に何かが変わったわけではないですが、
そういった気づきだけでだいぶ気持ちが楽になりました。

そういった時期にこのブログを立ち上げました。

このブログは、客観的な視点で自分と向き合う為のものと思っています。
自分でも、時々、昔を振り返りつつ、今に活かしたいと考えています。

「鬱」って、一山越えるとまた山があって・・・ほんとにシツコイ!
最近は、闘うより、うまく付き合うって感じになってきました。

色んな意味で、この病気になって「自分」が変わりつつあると感じています。
多分、元気なままだったら気づかなかった大事なことが沢山あると思います。

ただ、今はまだ立ち止まっている感じです。
今は地図の真ん中にいて、どこへでも向かっていける状況なのですが、
どちらに進んでいいのか?迷っている感じです。

焦らず、ゆっくり自分と対話しながら、目標を定められた時に
もう一度、元気な自分が歩き出すんだろうな・・・
と思っています。

それがいつになるかは???ですけど・・・

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2007年7月29日 (日)

自分の「鬱」の場合(5)

「鬱」の履歴も5回目になりました。
なんか気持ちがわかるって人もいれば、なんだか全然わかんねぇ。。。
って人もいると思います。
まぁ、そんなものですよね。「鬱」なんて・・・

さてっ、
前回は、3度目の休職に至るまでを書きました。


休職したのは、2006年の5月末から・・・

ゆっくり休養して下さい。とは言われたものの
とにかく、仕事を途中で放り出してしまったので、罪悪感で一杯でした。

とにかく、
「自分はダメな人間だ」
「とにかく辛い」
「もう未来に(会社で)希望がない」
などと、よく涙も流しました。
真面目に嫁さんに「死んだ方が楽だ・・・」と漏らしたことも。

始めは、2ヶ月位の休養で復帰できると思ってました。
でも、主治医と話していると「もっと長いスパンで考えて・・・」
えーっ!? 長いスパンてどれ位?

そんな時、本棚に買ったまま放置していた一冊の本が・・・
「本調子」って本なんですけど、この一冊が自分を助けてくれました。
始めは、集中して読めなかったけど・・・

内容としては、一言で言うと・・・「読書っていいぜ!」って感じ。

この本のおかげで・・・
10代の頃、悩んでいた事が一冊の本でうまく解決できたことを思い出し。

そうして、自分の読書セラピー(自分で勝手にそう思っている)が始まりました。
ブックオフとか図書館を利用して、とにかく読みまくりました。
あっ、でも「鬱」関連の本はある程度回復するまで読まない方がいいかも・・・
自分の場合、読んでいて、気持ちがシンクロして「涙・・・」ってなってしまったし。

流れとしては、ビジネス→自己啓発→新書→小説・エッセイ→新書→自己啓発っていう感じでした。
本を読むことで、色んな発見・気づきがあって、自分と向き合う時の参考にもなりました。
読んで気に入った本は、ブログに載せ始めました。
知り合いにすごいペースで本を読んでいるね。などとメールをもらったこともありました。
休職中とは、言えなかったですが・・・

そんな感じで気づけば、年末・・・
この頃から、自分でも落ち着いてきたなと感じることが多くなりました。

毎日の行動表と調子を記録するように言われ、
「鬱」の波、就寝時間の安定、昼間に少しづつ活動することなどができるようになってきました。

年が明けて、1月末頃から、復職へ向けた練習として図書館へ通い始めました。
2月の中旬頃からは、毎朝、起きて、会社の前まで原付で出かける通勤練習もしました。
3月も継続し、自分でも確かな手ごたえを感じてました。

そして、主治医の許可も出て、2007年の4月に復職となったのでした。
自分では、手ごたえを感じていたのですが・・・「鬱」はそうは簡単に引き下がってはくれないのでした。

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2007年7月26日 (木)

自分の「鬱」の場合(4)

前回は、新しい職場に異動するまでを書きました。

2005年の夏に新しい職場に異動しました。
新しい職場でも、技術の仕事を担当しました。
以前にいた職場では、チームで仕事をするのに対し、新しい職場では、良い意味でも悪い意味でも個人商店の集まりのようなところ。
完全に担当分けがされていて、あまり他の人のテリトリーには、踏み込まない感じ。
何となく、違和感を感じつつ・・・早く戦力になろうと悪戦苦闘の日々でした。

そんな職場なので、早く帰るマイペースの人は早く帰るし、遅くまでやる人は凄く遅くまでやるという感じでした。当然、私は後者の方。
周囲の人達も、頑張りは認めてくれているようだったのですが、
「早く自分の年齢に合った仕事ができるようにならなければ」
という焦りも感じてました。

人事や上司が良くやっていると言ってくれてると人伝に聞くと、まだまだ十分な仕事ができていないのに・・・もっと、もっと、もっと・・・

そんな感じだったので、
仕事も几帳面に真面目に完璧を目指し、
色々な事も引き受け、
仕事の量に少しづつ埋没して行きました。

当時は、本当に余裕が無かったですね。

ある日、手配していた書類が手違いで届かずに、会議で申請予定だった事項を終わらせる事ができないということが起こりました。
まぁ、良くある話しだし、私の落ち度ではないのですが・・・

その事が気になり、気になり、他の事についてもより完璧を目指しという感じになって行きました。
職場で一番最後まで残っていたことも多々ありました。
となりの課の課長にも、飛ばし過ぎないように・・・とアドバイスされたこともありました。
でも、やらずにはいられなかったのです。

そうこうするうちに、
夢で仕事をするようになり・・・
寝つきが悪くなり・・・
恐怖心から、出社のハードルが高くなっていきました。

自分でも自分を見失いつつあり、「やばい」と感じて、再度、診療内科へ。
相談の上、とりあえず1ヶ月間の休職となりました。
2度目の休職でした。

でも、心は休まらなかったです。
早く職場に戻り、仕事をしなくちゃ・・・

結果、医師にも「大丈夫です」を連発して、1ヶ月で復職しました。

その後も、ちょこちょこ休んだりしながら、通院してました。
でも、医師には「大丈夫」を連呼してました。
そんな生活を半年ほど続けました。

ただ、無理はいつまでも続かず・・・
もう、訳がわからないというか、八方塞がりというか・・・
凄い閉塞感と焦燥感と圧迫感、不眠の症状もひどくなって行きました。
何か、追い詰められて、「もう死んだ方が楽かな?」と思った事もありました。
本当に限界まで、自分を責めて追い詰めてました。

さすがに調子が目に見えて悪くなっているので、
通院日に嫁さんがついて行くと言い出し・・・
主治医に普段の様子などが、正確に伝えられることに・・・
私の「大丈夫」は、ここで「大丈夫でない」に訂正されたのでした。

主治医からは、
「そんな状態では、時々「死にたい」とか思いませんか?」
と言われ、
「たまにはあります。家族があるのでやりませんが・・・」
と言うと、入院を勧められました。(←これは、結構ショック)
さすがに一般病棟で入院では、リラックスできそうもないので、自宅療養をさせてもらいましたが、これで3度目の休職が決まりました。

この時は、閉塞感、切迫感、焦燥感、絶望感・・・
ネガティブな要素は全てというくらい、感じまくってました。
「もうダメかも知れない・・・」

ここからは、長い休職になりました。

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2007年7月25日 (水)

自分の「鬱」の場合(3)

前回は、最初の「鬱」が収束するまでを書きました。

当時は、体調的な不調はないものの、
担当プロジェクトも立ち上げ準備をしては、ボツの繰り返し・・・
という日々の繰り返しでした。

自分としては、バリバリ働いて会社の業績に貢献したいと思っていました。
しかし、その時の状態では、「会社の他の人達に食わせてもらっている」という後ろめたさをいつも感じてました。なんか、すごく肩身の狭い感じでした。
まぁ、周囲からというより、勝手に自分で思っていただけなんですけど・・・

そんな中で、経営陣も交代が続きました。
社内公募で「経営提言」等も募集され、5件の案を提案しました。
そのうち、一件はそれなりに評価されたのか、偉い人との懇親会メンバーに選ばれたりしました。
でも、やはりというか・・・
そういった一連の活動は、表面上だけの形骸化したもので、結局は何も変わらないのでした。

ある日、自分の中で、糸がぷっつりと切れるような事が起こりました。
それは、自分が思いを持って推進していたプロジェクトの相手先からの最後通告でした。
先方からすれば、「やる気の会社と付き合う必要はない」という当たり前の判断だったのでしょうが、そこに賭けていた自分としては、「終わったな・・・」という感じでした。

そして、その頃から、転属や転職を真剣に考えるようになりました。
とにかく、そこにはもういる意味が無くなったと考えたからでした。

調べてみると、幾つかの候補が見つかりました。
「隣の芝は青く見える」と言いますが、本当に青く見えました。
そして、社内の転属システムを使って、10年働いた職場を後にしました。

新しい職場では、人事・上司共に期待をしてくれていて、
自分自身も『一日も早く「即戦力」として仕事をするんだ』という意気込みで、異動したのでした。

今思うと、入れ込み過ぎだったのですが・・・
この思いが次の「鬱」を再発させるきっかけになるのでした。

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2007年7月20日 (金)

自分の「鬱」の場合(2)

前回は、最初の「鬱」が発症して、休職が決まったところまで話しました。
今回は、その続きです。

2003年の7月中旬でした。
「即、休職」と言われたあと、携帯で嫁さんに報告しました。
会社の建物の外で電話したのですが、ココ(会社)に二度と戻れないような気がしたことをいまでも記憶しています。

とりあえず、ゆっくり休養するように言われたのですが・・・
仕事を途中で放り出してきたことが、仕事仲間に申し訳ないという気持ちで一杯でした。毎日、仕事の夢を見てました。いつも追いかけられてました、仕事に・・・
不眠の症状と過呼吸の症状は辛かったですね。
たくさん、涙も流しました。

結局、2ヶ月半の休職の後、職場復帰を果たしました。
今思うと、この時は早く戻りたい気持ちが先走っていて、少し復帰が早かったのかも知れません。
復帰後、1ヶ月程度は定時退社を続け、その後は急に元のペースに戻しました。
これが、いけなかったのですが、また調子が悪くなってきました。
この時、自分ではプロジェクトの内容が良くからだと思い、プロジェクトの担当を変えてもらうようにお願いして、認められました。

ひとまず、プロジェクトを移ったことで、表面上は、「鬱」の症状は消えて行きました。
2004年の春には、減薬も完了し、通院も終わりました。

会社の業績も不振・・・
担当プロジェクトも立ち上げ準備をしては、ボツの繰り返し・・・
日々の生活は、何か物足りない・・・そういった思いが常に付きまとってました。
これが、後々、「鬱」の再発に繋がるとは、その時は思いませんでした。

通院が終わり、症状も無くなった・・・
だけど、自分の中で気づいていなければいけない事に気づいておらず、実は何も解決していないままなのでした。

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2007年7月15日 (日)

自分の「鬱」の場合(1)

今日は、気分的にすごく楽に乗り切れた感じがする。
いつものようにダラダラっと惰性ではなく、いい感じだった。

ことろで、自分の場合、鬱になったのはどうしてか・・・
少し、整理してみようと思った。
(一度では、書けないので、数回のつもりで(1)としてみた)

そもそも、事の発端は、2003年の初夏だったと思う。
それまで、仕事は超多忙で、毎日毎日・・・深夜残業、休日出勤の繰り返しだった。
まぁ、残業が150時間以上の月が連続になっていたこともあった。
でも、体調を崩すことはなかった、仕事が楽しかった。

2003年の春に転機があった。
順調だったプロジェクトの突然の中止。
業績悪化に伴い、上司が総取換えのような状態になった。
その送り込まれてきた新たな上司の遂行するプロジェクトの推進メンバーに入れられた。
しかも、2名だけ。
上司のやり方も強引で、周囲との調整もしないまま、独善的に突っ走るプロジェクト。
今まで、一緒にやってきた仲間達からも、非難を浴び、自分も納得のできない内容を推進する日々が続いた。2ヶ月くらい耐えた。

でも、ある日後輩赤ら言われた一言。
「最近、笑わなくなりましたけど大丈夫ですか?」

毎朝、激しい動悸と息苦しさを感じながら(後で知ったのですが、過呼吸の症状だった)、何とか出社していたが、限界だった。

プロジェクトの方向性を決定する会議で偉い人を前にプレゼン。
そこまではやった。
次の日、会社の健康管理室の心理士に相談に行ったら、「即、休職」と言われた。

次の日には、心療内科に行った。
嫁さんと二人で行ったが、ほぼ、一日、無言だった。
ただ、思ったより、心療内科って普通だった。
でも、自分がまさかココに来るとは思ってなかったし、すごくショックだった。
本当にわけがわからない状態だった。

自分が「鬱」であるということを認めたくなかったし、なるはずがないと思っていたので、本当にどうして良いかわからなかった。
人生の落伍者になった気分だった。

当時、ノートに殴り書きしている文をみると・・・
「どうして?」「みんなに迷惑をかけて申し訳ない」などの言葉が並んでいる。
本当に思考がパニックになっていたようだ。

ここから、自分と「鬱」との付き合いが始まったわけです。

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